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シグマUCズームTX400モノクロ一本撮り

ymedです。


6月23日慰霊の日

シグマUCズームTX400モノクロ一本撮り


亡き父は大正14年生まれで昭和19年に召集だった。那覇の10.10空襲のすぐあとの入隊。

父は少年のころ目に石が当たり、以来片目が不自由だった。
そんな父でも兵隊検査合格なんだから戦局はいかばかりか・・

父からはよく子供時代の話を聞いた。

軽便鉄道に乗ったとか、メジロを捕まえるのは大人より上手だったとか。。
楽しい笑い話もあれば、貧しくつらい話も。
星が降ってくるような彗星を見た話、熱病がはやって近所でも死人が出た話
*デング熱とかいっていた。
いろいろです。

シグマUCズームTX400モノクロ一本撮り


戦後は無事復員してまじめな勤め人人生だったと思う。
*だから筆者がいるのだが

その父から兵隊時代の話もすこし聞いた。
でもドンパチはしたとも言わなかったし、してないとも聞いていない。

中学か高校生のころ、「父は沖縄戦を経験したのだろうか・・」
本当はつらいことを押し殺して生きてるのではないかと心配になったことがあった。



インターネットの時代になって父親から聞いた話を調べたことがある
*昭和のはじめ那覇でデング熱は流行していました。


ずっと気になっていた父の戦争体験も調べた。

父は台湾で終戦を迎えたこと。引き揚げは舞鶴、南方に行くと思ったら台湾だったこと。
台湾の人には親切にされたこと。気の荒い軍馬がいたが父にはおとなしかったこと
部隊名は第三十二軍の「武部隊」

もしつらい経験をしていたらすこし親孝行しようと思い恐る恐る調べた。
沖縄戦の第三十二軍の主力は中国戦線から移動の石部隊、山部隊、球部隊、そのなかに
父のいた武部隊もあった。中国戦線でも無傷の正規装備、欠員なしの精鋭だったらしい。

ああ・・

その「武部隊」の記録をさらに調べるとは沖縄戦の直前昭和19年の12月ごろ台湾に移動していた。
台湾では空襲があったもの戦闘はなかった。現地での終戦も穏やかだったようだ。

父から聞いた話の通りに繋がってました。
本当によかったとおもいました。


シグマUCズームTX400モノクロ一本撮り


シグマUCズームTX400モノクロ一本撮り


お昼に黙祷。
きょうは父を偲んだ日だった。


バイバイ


シグマUCズーム28-70mm 3.5-4.5
コダックTX400
エプソンGT-X970
ミノルタα507



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この記事へのコメント
今日の、

「きょうは、こんな日だった」

しみじみ拝見いたしました。

「きょうは、よい日でした」
Posted by 勢理客館長 at 2011年06月24日 08:44
館長殿

いつもありがとうございます。
わたしもよい一日だったと思います。
Posted by ymed管理人 at 2011年06月24日 19:34